瞑想

瞑想をやりたくなかった10の言い訳と瞑想歴6年目の振り返り


最近は、テレビやYoutube、本などで瞑想が心の健康のためにも身体の健康のためにも非常に良いものである、ということを多くの人が耳にするようになったと思います。


しかし、良いことだとはわかってもすぐに生活に取り入れられるかというとそうではないこともあるかと思います。


また、友人や家族、あるいは仕事のお客さんに軽い気持ちで瞑想を勧めたところ、抵抗されたことはよくあります。身近な人でも瞑想が良いものだとは知っているけども、自分がやるものではない、という人が多い印象です。


もしかすると皆さんの周りにもそのような方がいらっしゃるかもしれません。


もちろん、誰もが瞑想の効果を知っているわけではありませんし、試したことがない人は瞑想について曖昧で不正確なイメージを持っていても当然と言えば当然です。


僕も瞑想を始める前は、スピリチュアルなイメージが強く、「洗脳」や「思い込み」のような科学的な根拠のないものだと思っていました。


しかし、実際は、瞑想やマインドフルネスを実践している人は、経営者、医療従事者、教師、著名人、兵士、スポーツ選手など、さまざまな立場の人がいて、その効果も世界中の数多くの研究によって明らかになってきています。


そこで今回は私が実際に使っていた瞑想を始めるまでの、やらないための言い訳と瞑想を続けて6年目の現在思うことをご紹介していきたいと思います。

言い訳その1「瞑想はただの若者の流行り」



初めて瞑想を生活に取り入れている人に出会ったのは、今から8年前、アメリカに留学していた時でした。
食生活の改善や運動に本気で取り組んでいる、いわゆる健康オタクの友人がいて、その人からアメリカで太らないための食生活や運動、おすすめのジムなどを教えてもらっていました。


彼が瞑想をしていることを聞き、何回か勧められましたが、アメリカに滞在している間にやろうと思うことはありませんでした。


その理由は、当時ネットでも”mindfulness”や”meditation”という言葉をよく耳にしていたのですが、急に瞑想の話を色々なところで聞くようになったことや私自身の瞑想に関する知識が浅かったこともあり、「ファッションとして」「流行だから」「迷走やってる俺かっこいい」という理由から皆が瞑想をやっているというようなイメージがありました。

瞑想は歴史の産物・科学の結晶



実際は、瞑想は単なる流行ではなく、世界中の人々が何世紀にもわたって行ってきたものです。
人々は、平和、幸福、変化を求めて、あるいは自分の人生をよりコントロールするために、瞑想を実践してきました。[1]The History and Origin of Meditation


瞑想のポイントは、私たちの最も大事な心をコントロールすることにあります。
私たちの心の状態は、私たちの成功と幸福を決定する最も重要な要因です。
すべてを手に入れていても、惨めさや不安、不甲斐なさなど、さまざまなネガティブな心の状態を感じている人もいると聞きます。[2]21 Reasons Why Money Can’t Buy Happiness


逆に、ほとんど何も持っていなくても、心の中は平和で満たされている人もいます。
スポーツでも、ビジネスでも、人間関係でも、このようなことは何度も繰り返されています。
どんなに優れた技術や資源を持っていても、心がそれを許さないのであれば、成功や幸せを手に入れることはできません。[3]21 Reasons Why Money Can’t Buy Happiness


瞑想では、集中力や注意力を高めることで、心をコントロールすることができます。
注意は、意識の「懐中電灯」のようなものだと考えることができるかも知れません。
私たちが注意の光を当てたものは、注目され、成長のチャンスを与えられます。
一方、注意を引いたものは暗闇に取り残され、衰退していきます。


意図的に特定のものに注意を向け、それを維持する能力を身につけ、ネガティブなものや自分のためにならないものから注意を取り除くことで、自分の現実や目標を明確にすることができるようになります。[4]How to Use Meditation to Visualize Your Goals


瞑想の主な目的は、注意力を鍛え、その注意力を自分自身への意識に向けることにあります。
その副産物として、いくつかの健康上のメリット、ストレス解消、平和と満足感を得ることができます。
[5]What is the Main Purpose of Meditation? (+ How to Achieve It)



瞑想は簡単にでき、多くの利点があるため、単なる流行ではなく、多く人にとって強力で永続的な習慣となっています。

言い訳その2「瞑想は、リラクゼーションや昼寝、自己催眠をかっこよくした名前に過ぎない。」



瞑想を始めるまでは、瞑想という日本語も”Meditation(メディテーション)”や”Mindfulness”(マインドフルネス)という言葉のどれにも良い印象はありませんでした。


瞑想は、「瞑」という漢字からはよくわからない怪しい印象がありましたし、「想」は妄想や空想などに使われていることから現実から逃避するような印象を持っていました。


“Meditation”には、英語の意味として、「宗教的・精神的な目的やリラクゼーションの方法として、静寂の中で、あるいは詠唱の助けを借りて、一定期間心を集中させる」という意味があるのですが、特定の宗教を信じていない私には関係ないもののようにも思えました。


“Mindfulness”は、言葉の構成から「何かに気づくこと、認識すること」という意味ということが分かりますが、かなり漠然としていて、抽象的で何を指しているのか疑っていました。

とにかく、良いイメージは決して持っておらず、その実態はすでにある自己催眠やリラクゼーションと同じものだと思っていました。

継続して初めて知った「気づき」


まず、瞑想は自己催眠とは異なります。
自己催眠は通常、話し言葉や心の中で唱えられる自己暗示によって誘発されるもので、あることを考えたり、見たり、感じたりするように自分に指示するものです[6]Self Hypnosis: What It Is & How to Do It


自己暗示に効果がある理由は想像力と心の創造力を利用するからです。
アファメーション(自己肯定の言葉)、イマジネーション(想像)、ビジュアライゼーション(視覚化)などを用いて、特定の心の状態を作り出すことができます。


そのため、皆さんもおそらく目にしたことがある、「ガイド付き瞑想」の多くはガイドの話に注意を払うこともあるので、瞑想よりも自己催眠やリラクゼーションの方が近いとも言えるかもしれません。


瞑想では、基本的に想像力を働かせたり、感情を呼び起こしたりすることはありません(「慈愛の瞑想」など一部の瞑想を除く)。


瞑想では、集中瞑想やマントラ瞑想などのように「特定の対象に注意を向けること」やマインドフルネス瞑想のように「今この瞬間の現実を観察すること」のどちらかが基本です。


瞑想を行うことで、心を静めて、現実をありのままに認識できるようになります。
そうすることで、私たちに洞察力、悟り、そして心の中の心地よい静けさをもたらします。


言い訳その3「瞑想は難しすぎる。そもそも心を落ち着かせることなんてできない」



瞑想のやり方を初めて聞いたとき、「いやいや、難しすぎるでしょ、頭を空になんてできないし」と思ったのを覚えています。


試しに、その場で頭を真っ白にすることができるのか、試してみたことはありましたが、数秒と持ちませんでした。


さらに、その場で同じ体制を維持するなんて、自分には不可能で、「お坊さんは本当にすごいんだなー」と感心した記憶があります。


もともと落ち着いている人か、悩みのない人、特に考え事がない人であれば、向いているのかもしれませんが、
常に様々な考えが頭の中を忙しなく駆け回っている私には絶対に向いていないとさえ思いました。


今思うと何のためにやるのかがわからないものをしばらく続けてみることができるほど、私の心には余裕がなかったのかも知れません。


瞑想は過程であり、結果である。



人生における他の多くの努力とは異なり、瞑想への取り組みが成功するかどうかは、すべて私たちの姿勢にかかっていると言えます。


それは、どれだけの技術を持っているか、どれだけ瞑想を実践してきたかは全く関係ないからです。


瞑想に対し、強い期待を持たず、厳格な目標や時間枠に執着せずに瞑想に臨めば、瞑想は誰でも成功します。


また、瞑想は過程であり、結果です。
瞑想を行う過程で、得られる多くのメリットがありますが、そもそも「瞑想に取り組んだ」それ自体が大きな結果でもあります。そして、大切なのは、その過程を楽しむことを学ぶことです。


瞑想中に次のような思いが出てきたら焦らずにその思いを手放す練習をするのが良いです。

「なぜ自分は集中できないのだ」という自己批判、
「他の人は成果が出ているのに自分には成果が出ない」というような比較、
「自分ももっと瞑想を楽にできるようになりたい」という期待



瞑想は、それ自体に意味があり、できることできないことを全てひっくるめて瞑想なのだと思うことができれば、その過程をより楽しめるようになるかもしれません。[7]8 Ways to Make Meditation Easy and Fun


自分の考えと戦ったり、積極的に心を空っぽにしようとしたりするべきだと考えていると、瞑想が難しいと感じることがよくあります。[8]3 Ways You’re Making Meditation Way Harder Than It Has to Be


しかし、瞑想では、積極的に心や感情をコントロールしようとしなくて良いです。
例えばマインドフルネス瞑想では、考えが頭に入ってきたときに気づき、過ぎ去ったときに再び気づくことであり、考えに執着したり引き込まれたりすることはありません。


また、瞑想は、注意力を継続する過程に過ぎません。
その結果、もしかしたら心は空っぽになるかもしれませんが、そうならないかもしれない、そしてそれで良いのです。


瞑想によって得られるメリットに意識が向きすぎて、瞑想の効果に期待を持ち続けたり、それを目標にしたりすると、リラックスして自分を受け入れる感覚を得ることは難しくなります。


マインドフルネス瞑想では、「心を空っぽにする」のではなく、「一瞬一瞬、ある一点に注意を向ける」ことを大切にしています。練習すれば、マインドフルネスは私たちをより穏やかで安定した悟りの境地へと導いてくれます。[9]With mindfulness, life’s in the moment


瞑想が難しいと感じるのは、次のようなイメージに近いかもしれません。


仕事や勉強をしようとしているとき、突然、隣で音楽が流れ始めました。
音楽はっきりと聞こえていますが、どうすることもできないので、「聞こえないようにしよう」とします。
聞こえないようにしようとすればするほど、その音は大きく不快なものに感じられます。
しかし、何か別のことに意識を向けるように努力すれば、やがて音楽のことなどすっかり忘れていることに気づきます。




瞑想をするときに、心を空っぽにしようとか、静かにしようとかは特に考えなくて良いです。
そういうことは考えないで、ただ瞑想することに集中し、他のことはすべて忘れるのが大事です。


また、瞑想をするには、まず心を静かにする必要があると考える方がいます。
そのような方の中には「私の心はあまりにも落ち着きがなく、瞑想などできるはずがない」という心配を持たれる方もいらっしゃるかも知れません。
私はまさにそうでした。


しかし、これは「ジムに通うには健康であることが条件」というのと同じ主張です。


「穏やかな心」を持っていることは、瞑想の絶対条件ではありません。
むしろ、「落ち着きのない心」を持っていることの方が、瞑想をする理由になります。


もともと健康的で筋骨隆々の人よりも現状の健康状態に課題を感じて、改善しようとしている人の方がジムに行くメリットが大きいのと同じです。

言い訳4「瞑想の恩恵を受けるには何年もかかる」


私は、瞑想はお坊さんたちがやることで、あの人たちは何年も瞑想をやり続けているから効果を得られるのだと思っていました。


ただの学生がちょろっと軽い気持ちで瞑想を始めたところで、有名な瞑想の効果を得ることはできず、どうせ時間を無駄にするんだろうなと思っていました。


そのために毎日何時間も何年も割くくらいなら本を読んだり、英語の勉強をする方が、将来の自分のためになるだろうと思っていました。

恩恵は思ったよりもすぐにきた


人によっては、瞑想は、わずか8週間の毎日の実践で、肉体的にも精神的にも大きな効果をもたらすこともあります。[10]Eight weeks to a better brain


もちろん、20,000時間の瞑想を行っている僧侶は、1ヶ月前に1日10分を始めた人よりも多くの恩恵を受けているとは思います。しかし、瞑想には、初心者から長年の実践者まで、あらゆるレベルでメリットがあります。


実際に、僕も瞑想を初めて一番困っていた睡眠とストレスに関しては、毎日の瞑想を初めて6週間ほどで完全が見られました。怒ることがなくなくなり、怒りを感じたときに冷静に考えることができるようになったのは瞑想を初めて2週間後くらいです。


もし皆さんが悟りを開きたい、あらゆる苦しみを超えた恐れのない状態を手に入れたいと思っているのであれば、その目標に到達するまでには長い時間がかかるでしょう。


しかし、もし皆さんが今よりも良い健康状態や、人生に平和とバランスを求めているのであれば、朗報です。
多くの人が数週間後にはそれらを経験しているという良い研究結果があります。[11]Eight weeks to a better brain


瞑想が人生に与える影響が長期的なものだから嫌だという方がいらっしゃれば、瞑想の多くの利点のうち、少なくともいくつかは比較的すぐに得ることができるので、安心していただきたいです。


それがストレス解消なのか、睡眠の質の向上なのか、自己認識の向上なのか、人に優しくなれることなのか、問題解決力の改善なのか、集中力アップなのかは分かりませんが、いずれ訪れるので焦る必要はありません。


多くの実践者は、瞑想をするたびに、リラックスしたり、集中したり、休息したり、あるいはその3つが揃ったりと、少なくとも少しは気分が良くなることに気付きます。


さらに朗報なのは、この人生を変える挑戦は無料で、必要なのはあなたの意識だけということです。

言い訳その5「瞑想する時間がない」



瞑想の効果を感じられるのが、何年も先と思ったのと同時に、ベテランの瞑想家は毎日40分の瞑想を2回行う、と聞いたとき、自分には、絶対に向いていないからやめておこうと強く思いました。


「いやいや、40分も目を閉じて座ってるの絶対に苦痛でしょう」と思いました。


さらに、朝瞑想をしたほうが良いだの、夜瞑想をした方良いだの、昼にやると午後の生産性が上がるだの色々聞いてもそんな時間ないでしょうと思っていました。


前日にお酒を飲んでいた学生には授業までの間にそんな時間を作れませんし、
朝4時まで接待していたサラリーマンに出勤までの間にそんな時間を作れるなら絶対にもうちょっと寝たほうが良い、と思っていました。


私には、瞑想をやるほど、暇はないのだと。

ハードルは思いのほか低かった



時間がないと嘆いていた私が、瞑想をやると決めたときに実践したのは、こちらです。


まず、1週間の間に、画面(テレビ、スマートフォン、タブレット)の前で過ごす非生産的な時間をすべて記録しました。YoutubeやNetflixを見る時間もです。そうすることで、1日1回の瞑想に必要な時間を十分に確保することができました。


また、多忙な経営者の中にも、もう何年も瞑想を欠かさないという人もいます。
瞑想を生活の中で優先的に行うようになれば、そのための時間を作るようになります。
1日1分から始めて、徐々に時間を増やしていけばいいんです。
ちなみに、僕は最初ハードルをこれでもかというほど下げ毎日30秒から始めました。


瞑想を始めると、時間に余裕ができたことに気づく人もいます。
日々の生活の中で何が大切なのかが明確になり、自分のためにならないことに時間を使うのをやめることができるからです。



言い訳その6「瞑想はつまらない」



瞑想のやり方について、友人から話を聞いていたときの僕のイメージはこうでした。


「いやいや、ただ目を閉じてぼーっとする、これの何が楽しくてやるんだ」


学生の時は瞑想以外にいくらでも楽しいことはある中で、それらを差し置いて瞑想するというのは、当時の私にはあまりに難しかったです。


ドーパミンが出まくる



もしかすると人によっては、瞑想はつまらないものと感じるかもしれませんが、その経験は多くの場合、どのように態度で瞑想に取り組むかで変わってきます。[12]Think Meditation Is Boring? 10 Tips for Sticking with It


ワクワクするような楽しい体験を期待して瞑想に挑戦しても、おそらくつまらないと感じてしまいます。
確かに、瞑想は心が躍るような楽しさを感じられるものものではないのですが、それは悪いことではありません。


多くの人がマインドフルネス瞑想を実践しているのは、得られる平和と楽しさが、日常生活で経験するものとは違うと感じ、その感覚に価値を感じているからです。
瞑想は、誰にも頼らず、何十年も続けていても新しい体験ができる、他の何かで大体することができない貴重な楽しみの一つです。


脳内の「快楽物質」であるドーパミンは、セックスやおいしいものを食べたり、スポーツ、薬、お金を稼ぐ、音楽を聴くなどの快楽的な活動をすると分泌されます。


しかし、時間をかけて同じ快楽に繰り返し触れることで、ドーパミンに対する耐性が神経細胞に作られ、繰り返される快楽に対する報酬が徐々に減少していきます。


大好きなアイスクリームを1日3回、毎日食べることを想像するとわかりやすいかと思います。
心理学者はこの概念を “快楽適応 “と呼んでいます。[13]Hedonic Adaptation: Why You Are Not Happier


この時、人が取れる選択肢は体に良くないし、意味のある報酬も得られなくなったが、習慣的に毎日アイスクリームを食べ続けるか、別の喜びの源に切り替えるかのどちらかになります。
これは、快楽をもたらす活動のほとんどに言えることです。


しかし、瞑想によって生成されるドーパミンは、セックス、食べ物、お金などで経験する快楽の「ダウンレギュレーション」を受けないことが研究で明らかになっています。[14]Meditation-induced bliss viewed as release from conditioned neural (thought) patterns that block reward signals in the brain pleasure center


「そうは言っても、瞑想はつまらない」


そのように感じる場合は、ハングリー精神や強い期待を持たずにやってみることが大事です。
期待はマインドフルネスの障害になってしまいます。


瞑想の初心者の方は、できるだけ期待を捨てて、心を開いて楽観的な態度で臨むことが良いかもしれません。


瞑想は、ジムに通うのと似ています。
多くの人にとって、その場で走ったり、重いものを持ち上げること自体は、心が躍る体験ではないかと思います。


運動や筋トレの表面的な効果(体がきれいになる)だけを求めて運動していると、退屈で厳しいトレーニングの中でモチベーションを維持するのは難しいでしょう。


しかし、そのプロセス自体を楽しみ、自分の健康と人生を考え、「より良い人生にするのだ」と努力することを学べば、長期的に継続することができるかもしれません。

言い訳その7「瞑想をするにはスピリチュアルである必要がある」


私は、今まで特定の宗教を信仰したことはなく、風水や手相、宇宙との交信、高い壺などを信じたこともありません。(娯楽としてオカルトの話を聞くのは好きです。)


国の成り立ちや歴史と宗教は深く関わっているので、海外の文化を理解するという過程で宗教への理解はありました。


しかし、昔宗教団体の営業が実家に激しめに訪問してきたこともあり、宗教団体に良いイメージは持っていませんでした。


そのような私にとってネガティブなイメージがある宗教と瞑想の結びつきが強いので、自分には向いていないと思っていました。


また、先ほども触れましたが、瞑想という言葉にスピリチュアルで怪しいイメージを持っていました。


私はその類のものを一切信じていないので、瞑想をやっても効果はないだろうと思っていました。

意外と宗教全然関係ない?


多くの人は、瞑想が宗教やスピリチュアリティと結びついていることに抵抗を感じるかもしれません。


瞑想は古くから行われてきたもので、確かに宗教的な文脈の中で、精神的な目標を達成するために作られたり、発見されたりしてきました。しかし、ほとんどのテクニック、特に最近よく話題になる瞑想は、本質的に宗教的なものはほとんどありません。[15]East/West differences in meditation: Spirituality or technique


瞑想を単純な体と心のエクササイズとして利用したいのであれば、あなたは良い仲間に恵まれています。
多くの人が、健康やウェルビーイングのためだけに瞑想を実践しています。


瞑想は、特に何かを信じなくても実践できます。
キリスト教やイスラム教の信者の方も自分の信仰と矛盾することなく瞑想を実践できます。


無神論者や無宗教者も同様です。
ストレッチをしたからといってヨギ[16]ヨガを実践する人になるわけではないのと同様に、瞑想を実践しても宗教的になるわけではありません。


初心者が瞑想をするのに、何かの儀式に従ったり、特別な服を着たりする必要はないと断言できます。
瞑想をするために心の準備をするために儀式をする人もいますが、瞑想をする上で必要不可欠なものではありません。


瞑想ではマントラを唱える必要がないことも伝えておきましょう。
瞑想にはいくつかの方法がありますが、その多くはマントラの繰り返しを必要としません。


言い訳その8「瞑想は逃避だ」


瞑想をどうしても好きになれなかった理由の一つは、想像や空想、妄想というイメージの中に逃げているだけという印象があったからです。


全ての人が現実を見て、一生懸命生きているのに、何も考えないようにするような行為はただの現実逃避だと思っていました。

瞑想は現実を見ることそのものだった。



瞑想と聞くと以前の私のように、現在の現実から逃避して、問題を置き去りにしようとするものだという印象を持っている人もいるかと思います。


しかし、瞑想をそれなりの期間行ったことのある人は、実際はその逆であることを知っているかと思います。
瞑想は、私が逃げようとしていた多くのことを、痛いほどはっきりさせてきました。


逃げようとすることは、典型的には、気晴らし(例:テレビ、ソーシャルメディア、ゲーム)や、依存(例:アルコールやドラッグ)を伴うものかと思います。


一方、瞑想はすべての気晴らしを取り除き、意識の高まりを促すので、正直全然逃避できません。


「逃げる」という姿勢で瞑想を始めれば、すぐに遠くまで逃げられないことに気づきます。
私が逃げようとするものはすべて、実は私の心の中にあって、向き合わなくてはいけないのだと気づきます。


そういうと瞑想は辛いことのように思えるかも知れません。
確かに、簡単なことではないですが、自分自身を知る助けとなり、物事をより明確に見て、自分の心をよりコントロールするための練習になります。


問題から逃れようとして瞑想をする人は非常に稀で、むしろ瞑想によって自己認識が深まり、自分の内部資源をよりコントロールできるようになることに気づくのです。


結論として、瞑想は問題から逃げているのではなく、むしろ問題をより明確にとらえる助けになることであると言えるかと思います。

言い訳その9「瞑想は利己的だ」



自分と向き合うことは聞こえはいいですし、大事なことのように聞こえますが、

学生の頃の私は、

「自分のことはわかっている」

「自分と向き合うくらいなら他人のために何かしたい」

と思っていました。


そのため、必要以上に自分のことに集中する瞑想をする人たちは他人に興味がない、利己的な人たちのような印象を持っていたとも言えます。

自分のことも他人のことももっと知れた。


もしかすると皆さんの中にも私と同じように、瞑想に対して、利己的で孤立した幸福を得ようとする試みだと考える人もいるかもしれません。


しかし、瞑想は、食事や睡眠、シャワーを浴びること同じで、自分の健康のために行われることが多いですが、決して他者を拒絶するようなものではありません。
多くの人にとって、瞑想は充実した機能的で有意義な生活を送るために必要不可欠な日常活動となっています。


また、瞑想の実践者は、瞑想を通して、自分のための時間を確保し、心と身体のセルフケアに従事することで、世の中の物事に対し、異なる見方をすることがよくあると言われています。


私自身も瞑想をするようになって、自分のことはもちろん、ストレスの感じ方が変わったことにより、他人の苦悩に関しても以前よりも理解できるようになったように思います。


以前の私は、自分のことで一杯一杯になっていて、他人のことを考えている余裕がなかったのだと思います。
今でもこれに関してはまだまだ改善の余地はありますが、私自身も多少なりとも成長できていると感じます。


また、他者を理解しようとする優しさを育む「

" target="_blank" rel="noreferrer noopener">慈悲の瞑想」の効果はすでに多くの研究によって裏付けられており、決して自分にとってだけのものではないと言えます。


瞑想は目に見える何かを生み出すものではないかもしれませんが、多くの実践者は、その効果が外に向かって放射され、周囲の人々や、個人生活や仕事での努力の成果にプラスの影響を与えることに気付きます。

https://mind-wheel.com/effects-of-loving-kindness-meditation/



言い訳その10「無感情になる」



瞑想は誰が行うものかというと僧侶やお坊さんをイメージする方もいらっしゃるかと思います。


学生の頃の私は、長年修行を積み重ねた僧侶たちは、何があっても心が動かない鋼のハートを持っているのだという固定観念がありました。


心が強いことは良いことですが、何も感じない、表情も変えないロボットのような人にはなりたくないと思っていました。

ただ、ただ深く知ること



瞑想は感情の荒地への片道切符で、感情表現がすべてロボットになってしまうのではないかと心配する人もいます。


しかし、瞑想の目的は、感情を取り除いたり、否定したりすることではなく、むしろ、感情の奴隷ではなく、感情をより深く理解できるようになることでした。


練習すれば、感情の波に従うことも、ただそれを受け入れてスペースを確保することもできるようになります。これは、瞑想が提供する潜在的なメリットの一つです


瞑想は、感情への反応を抑えることを可能にしますが、感情を取り除くわけではありません。
感じる能力を失うのではなく、以前よりもさらに自分の感情が明らかになります。


以前は言葉にできなかったなんだかよくわからなかった感情の正体が明らかになってくるということもあります。



ハードルは自分で低くできます



この記事では、私が過去に持っていた瞑想に関する大きな誤解とそれに対する今の所感を紹介しました。


瞑想に取り組むことをためらう理由はさまざまですが、その多くは解消、軽減、あるいは完全に打ち消すことができます。


私自身、今回ご紹介したように、瞑想に取り組まない理由を徹底的に固めていましたが、ハードルを限りなく下げることで、時間がないと毎日焦って生きていたにも関わらず、瞑想を日常に取り入れ、6年も継続することができました。


また、ハードルを下げたにも関わらず、しっかり瞑想の効果を実感できたのも瞑想が単なる「思い込み」や「洗脳」の類ではなく、現実的で科学的な実践だからかと思います。


もし皆さんの中に少しでも瞑想に興味があるという方がいらっしゃれば、まずは5分を目指して試してみていただきたいです。5分が難しければ私のように30秒や1分ほどから始めてみるのもおすすめです。


皆さんがより健康的な人生を送れることを願っています。